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マニフェスト (競走馬) : ミニ英和和英辞書
マニフェスト (競走馬)[うま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

競走 : [きょうそう]
  1. (n,vs) race 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 

マニフェスト (競走馬) : ウィキペディア日本語版
マニフェスト (競走馬)[うま]

マニフェスト (''Manifesto'') はアイルランドで生まれ、アイルランドおよびイギリスで調教された競走馬。19世紀から20世紀にかけて障害競走で傑出した成績を収めた。
マニフェストは1888年にハリー・ダイアスの所有するナヴァン近くの牧場で父マンオブウォー (Man of War) と母ヴィーヴィクタス (Vae Victus) のもとに生まれ、4歳のときにマンチェスターで行われたスティープルチェイスが初出走となった。同年にレパーズタウンで行われたアイリッシュチャンピオンスティープルチェイスに優勝し、これを最後にイギリスで競走生活を送ることになる。
初めてグランドナショナルに出走したのは1895年のことである。11ストーン2ポンド(約70.8キログラム)のハンデで出走したが、優勝したワイルドマンフロムボルネオの4着に敗れた。翌年も出走したものの転倒により競走を中止した。
グランドナショナルで初勝利を挙げたのは9歳となった1897年のことである。11ストーン3ポンド(約71.2キログラム)を背負ってのものだった。レースは28頭立てで行われ、2年前の優勝馬ワイルドマンフロムボルネオ、前年の優勝馬ザソアラーも出走していたが、いずれも途中で競走を中止している。1898年にマニフェストはハリー・ダイアスからブルティールに4000ポンドで売却された。この年はグランドナショナルには出走していない。
1899年にマニフェストは2度目の優勝を飾った。これは12ストーン7ポンド(79.4キログラム)というグランドナショナルで最も重いハンデでの勝利であり、同じハンデを背負ってグランドナショナルを優勝したのはほかに3頭しかいない。1900年は12ストーン13ポンド(82.1キログラム)で出走して3着に健闘した。なお、優勝したドロエダとは13キログラム以上の斤量差があった。
1901年はグランドナショナルに出走せず、1902年1903年はそれぞれ12ストーン8ポンド、12ストーン3ポンドでともに3着。最後の出走となった1904年、16歳となったマニフェストは12ストーン1ポンドのハンデで6着に終わった。
== 外部リンク ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マニフェスト (競走馬)」の詳細全文を読む




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